2017年7月14日金曜日

偶  像 
神は、モーセを通してイスラエルに十戒を与えられました。その第2戒は、偶像に関するものでした。出エジプト記20章4、5節には次のように書かれています。「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。(中略)それを拝んではならない。それらに仕えてはならない」
 偶像礼拝は、神が嫌われるものです。というのは、全て偶像は人が勝手に造ったものであって、それは偽りの神だからです。そのむなしさに関しては、イザヤ書44章をお読みください。
 偶像を造ったのは人です。真の神は唯一の創造主であり偉大であり、世界も神をお入れすることができません。その栄光をむなしいものとしているのが偶像です。
 19節にはこう書かれています。「彼らは考えてもみず、知識も英知もないので、『私は、その半分を火に燃やし、その炭火でパンを焼き、肉をあぶって食べた。その残りで忌みきらうべき物を造り、木の切れ端の前にひれ伏すのだろうか』とさえ言わない」
 ここでいう木の切れ端というのが「偶像」です。生ける真の神がおられるのに顧みようとはせず、自分が暖まった、あるいは調理に使った木々の残りで像を造り、その像を勝手に礼拝しているのが、偶像礼拝の実情なのです。神さまの怒りはもっともだと思いませんか。
 生ける神に引き換え、偶像の神々は何の力もありません。何もできません。偶像の神は、お世話をされなければ移動することさえもできません。こんなものが救いや力になるでしょうか。
 しかし、真の神はイエス・キリストを通して、ご自身を現されています。この方こそ主であり、私たちの救いです。
 むなしい偶像に心を留める者は、自分への神の恵みを捨てます。真の神、イエス・キリストを信じましょう。 (イスラエル北野)

み声新聞2017年7月16日号(第945号)より転載—


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