2017年5月21日日曜日

ヨセフの2年間

詩篇に「彼のことばがそのとおりになる時まで、主のことばは彼をためした」(105篇19節)という一文があります。彼とはヨセフのことです。ヨセフは、ヤコブの12人の息子の中でも特に愛された子どもでした。
 ヨセフは自分が将来偉くなることを知っていました。しかし子どもの浅知恵でストレートにその事を言うものですから、それがまた、兄たちのねたみを買い、彼はエジプトへ奴隷に売られました。そこから今度は無実の罪を着せられて、囚人になり、示しとは真逆の人生をたどっていきました。
 そのヨセフに転機が訪れました。囚人となったパロの献酌官(けんしゃくかん)と調理官の夢を解き明かしたことから、彼らに無実の自分の事を話し、パロにとりなしてくれるよう願いました。彼はこれで牢獄から出られる、と思ったでしょう。ところが、彼は忘れられたのです。ヨセフの希望はついえました。本当の試練はむしろそこからでした。その後、献酌官がヨセフの事を思い出すまでの2年間、ヨセフは待たされ試され、忍耐の炉で練られました。
 しかし、この2年間でヨセフは神に栄光を帰す器として立て上げられました。彼は信仰の試しを忍び通したのです。神のことばはヨセフの上に速やかに成就し、彼が幼い時に見た幻通り、1日にして彼はエジプトの大臣となりました。
 待つこと、試されること、耐えること、これらは試練の3点セットです。私たちにとって試練は喜ばしいものではありません。しかし、どのような試練も、忍耐の末に私たちに与えようとしておられる神さまの約束の成就に比べれば、取るに足りないものだと私は考えます。あなたが受けた約束もまた、時が来たなら実現します。忍耐をもって、最後まで堅く握りましょう。
 
(イスラエル北野)

み声新聞2017年5月21日号(第937号)より転載—

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