2016年9月13日火曜日

 
 幼いころ、『泣いた赤鬼』という絵本を読みました。幼心の私にも、非常に強く感じるものがあった記憶があり
ます。
 主人公の赤鬼は、人間と友達になりたくて、家の前に立て札を立て遊びに来てくれるよう誘いました。しかし
人間は、取って食うつもりだろうと警戒して誰も来ません。赤鬼には青鬼という親友がいて、彼は、自分がふも
との村で暴れるから、自分をやっつけろ、そうすれば、人間は安心して仲良くしてくれるだろう、と言いました。
 その読みは当たりました。赤鬼は毎日人間と楽しく過ごすようになりました。しかし、あれから青鬼に会ってい
ません。どうしたのだろうと家を訪ねたところ、青鬼の姿は既に無く、家の前には自分と付き合うと君も悪い鬼だ
と思われるから自分は旅に出るという手紙が残されていました。
 この話は幼心にも、やるせない話でした。親友を失ったということと、人間と仲良くすることをてんびんにかけて
みると、赤鬼にはどちらが大切だったのでしょうか。親友でしょう。しかし、彼は気付くには遅すぎました。
 聖書に箴言があります。その一つにこう書かれています。「人を恐れるとわなにかかる。しかし、主に信頼する
者は守られる」(2925節)
 赤鬼が落ちたわなは、いわば、人を恐れたことにあるといえます。人に好いてもらいたいという思いが高じると、
自然と人の顔色をうかがう者となり、ついには捕らわれ人となってしまいます。その結果、一番大切なものを失っ
た、これが赤鬼ではなかったかと思います。
 人を愛することと恐れることは違います。恐れることの結末はわなに終わります。そして、一番大切なものを失
います。神に信頼し、真に人を愛する道を行きましょう。 (イスラエル北野)

み声新聞2016年9月11日号(第901号)より転載—

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