2015年10月3日土曜日

ひとり子さえ惜しまず
 イサクは、アブラハムとサラの間に産まれた約束の子でした。「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれる」と神は語られたのです。アブラハムへの約束や祝福はすべてイサクが相続すると神は約束されました。
 にもかかわらず、神はアブラハムに「全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい」と試練を許されました。イサクが死んでしまったら、神の約束は一体どうなるのでしょう。
 しかし、アブラハムは時を移さず語られた地に向かいました。到着すると彼は祭壇を築き、まきを並べた上にイサクを縛り、今ほふろうとしました。その時、主の使いが天から彼を呼び言いました。「あなたの手を、その子に下してはならない。今、私は、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた」(創世記22章参照)
 ひとり子さえ惜しまない、これはどこかで聞いたことばではありませんか。ヨハネの福音書3章16節に「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じるものが、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」と書かれています。神さまもひとり子イエスさまをおささげになられたのです。
 神さまのひとり子とはイエスさまのことです。イエスさまは私たちが神さまの元に帰っていくことができるように、私たちの罪の贖いの代価としてご自身をささげ、十字架で死なれました。神はそれほどまでも私たちを愛してくださっているのです。そして神は復活のみわざのため、力を働かせ、御子を信じる者に永遠のいのちをくださるのです。イエスさまを信じましょう。(イスラエル北野)

 み声新聞2015年9月27日号(第851号)より転載—

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