2014年9月6日土曜日

強さと弱さ
 私は元来、強気で活発な人間でした。ところがイエス・キリストを信じ、献身
してから、ひと月ばかりのうちに試練が訪れました。病気で入院したの です。
東京の教会を後にして郷里の徳島に帰り、大学病院に入院しました。礼拝にもあ
ずかれず、送られてくるカセットテープを唯一の霊の糧としてし がみつくよう
に聞いていました。
 入院したことによって、私はもう、自分が強いだとはとても言えなくなりまし
た。歯を磨くのにもトイレにも介助が必要でした。心はもういっぱい いっぱい
で、これ以上一つでも何かが加わるなら、心のダムが決壊するところでした。
 おまえは弱い。おまえの友人のようにどうして強くなれないんだ、と父に言わ
れ、以来、弱さは私の苦味となり、父のいう、強くて成功している友人 たちと
は距離をあけるようになりました。
 なぜこんなことが起きるのですか、という問いかけに神さまは、コリント人へ
の手紙第二12章を示してくださいました。「その啓示があまりにもす ばらしい
からです。そのために私は、高ぶることのないように、私を打つための、サタン
の使いです」(7節)また「わたしの恵みは、あなたに十分で ある。というの
は、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」(9節)と書いてあ
りました。
 強さ弱さに関しては、もし、私が友人のように強かったなら、決してイエスさ
まの元に来なかったと思います。弱かったからこそ、イエスさまを知り まし
た。私は弱いですがイエスさまが私の強さとなってくださるのです。弱くされる
ことは恵みです。「キリストの力が私をおおうために、むしろ大い に喜んで
私の弱さを誇りましょう」
 (イスラエル北野)

み声新聞2014年9月7日号(第796号)より転載—

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