2014年7月17日木曜日

ぶどうの木
 ヨハネの福音書15章でイエスさまはこう語られました。『わたしはまことのぶどうの木であり、私の父は農夫です。(中略)枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶとはできません。』(1、4節)
 ぶどうの木とはイエスさまです。そして枝とは、私たちのことです。枝は木につながれなければ生きていけません。枯れて捨てられます。しかし、そんな枝でも木につながれば木から養分を得、豊かな実を結びます。イエスさまは、教会のかしらです。ですから、木につながるとは、具体的には教会につながるということを意味しているのです。
 最近、心痛める二つのことがありました。2年ほど前に脱会を申し出てきた兄弟がいますが、その後どこの教会にもつながらずにいたところ、今は離婚を協議するという事態にあると聞きました。またもう1人の兄弟は、クリスチャンですが、あちこち教会をめぐり歩き定住しないことによって、今、重い病が許されています。
 私たちはよく、自分の信仰さえしっかりしているなら教会に行く必要はない、またどこに行こうが問題ない、ここにも神はいるのだから、このような意見を聞きます。しかし、それこそがサタンのわなです。その思いには決して従ってはなりません。私たちは枝です。キリストのみからだなる教会につながれてない人は、サタンの格好の餌食となります。
 こういうわけで、私たちは教会に相集い、主の牧会の中で養われましょう。まだイエスさまを救い主として信じていない方は、どうかこの信仰を持ち、あなたもまたイエスさまにつながりましょう。(イスラエル北野)

み声新聞2014年7月20日(第789号)より転載―


  

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