2014年5月4日日曜日

バベルの塔
 先日、ニュースを読みましたが、なんでも西暦2016年に中国の広州市に
111階建てのビルが建つ予定です。また中東では、高さ1000メート ルを
超えるビルが建設予定だそうです。
 とにかく、少しでも高い建物を建てようすることの始まりは、創世記の昔から
ありました。バベルの塔です。そのころは、全地は、一つのことば、一 つの話
しことばでした。彼らはこう言いました。「さあ、われわれは町を建て、頂きが
天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされる といけないから」
 その時、神は人間の建てた町と塔をご覧になるため降りて来られました。そし
て、「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始 めたの
なら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて
行って、そこで彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが 通じないよう
にしよう」(創世記11章参照)と語り、神は人々を全地に散らされました。こう
いうわけでこの町は、バベルと呼ばれるようになりまし た。
 高い物を建てようとする私たちの習性は、このバベルから引き継いでいるのか
もしれません。バベルの時代では、その心がいけなかったのです。自分 たちの
名をあげよう、という動機が神さまの前に高慢であり、反抗的であったのです。
しかしながら私たちは、天に達し、神さまの近くに居たいという 純粋な憧れも
持っています。
 神さまに近づくために必要なことは、高い塔を建てることではなく、むしろ内
面的なものであり、低くなること、へりくだることです。私たちが神さ まの前
にへりくだる時、神さまは私たちに近づき、また私たちをご自身に近づけてくだ
さいます。 (イスラエル北野)

み声新聞2014年5月4日号(第778号)より転載—

0 件のコメント:

コメントを投稿