2013年5月7日火曜日


死もまた、あなたがおられる
 全てのことを感謝し神を賛美することを教えてくださったマーリン・キャロ
ザース師は、天に帰るその日にご自分がどんな言葉を語るだろうかという 事に
とても関心をお持ちのようでした。
 全ての人がそうだとは言えませんが、死を前にした人というのは、何か特別な
ものが見えたり聞こえたりしているようです。先ほどのマーリンさんの お父さ
まは、天が開けているのを見て、もうこれ以上の治療は結構ですと言い、御国に
旅立ちました。
 またある姉妹は、召される前に既に召された兄弟姉妹の名を呼び、喜びの声を
あげつつ天に帰って行きました。
 さらに、私の父は、ガンでしたが、召される3日ほど前から、せせらぎの音が
聞こえるとしきりに口にしていました。それは天の御国を流れる、いの ちの水
の川のせせらぎを聞いていたのではないかと思います。霊においては、それ程、
天の御国が近くになっていたのでしょう。いよいよという時に なって父は、御
使いを見て、命の日数を延ばしてくださるよう熱心に願いました。しかし、3度
退けられると、分かりましたというように顔を元に戻 し、たちまちにして召さ
れて行きました。
 死を見ることなく移されるということがあるのです。詩篇23篇でダビデは「た
とい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れませ ん。あなた
が私とともにおられますから」(4節)と告白しました。
 どんな死に方をするのかということは、誰もが興味を持つところで、確かに死
は怖く感じるものです。しかし、安心してください。イエスさまの十字 架に
よって、死は命にのまれました。私たちは死を越えてパラダイスに移されます。
イエス・キリストを信じましょ う。 (イスラエル北野)

 み声新聞2013年5月12日号(第727号)より転載—

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