2012年12月4日火曜日

山をも動かす


 信仰は山をも動かすと言いますが、本当にその通りです。
 かつての友人Mさんは、信仰によって素晴らしい神さまの栄光を見ました。実
は、Mさんの家には電話がありませんでした。連絡を取るのに不便なの で、電
話が与えられるように、神さまに祈りました。程なくして、神さまは彼にみこと
ばを下さいました。「祈って求めるものは何でも、すでに受けた と信じなさ
い。そうすれば、そのとおりになります」(マルコの福音書1124節)というみ
ことばです。
 彼はそのことばを握りました。信仰のレースの開始です。Mさんは、まず牧師
宅で不用となっている電話機をもらって、自宅に置きました。そして、 受話機
を取っては、まだつながっていない回線に向かって言うのです。「もしもし。M
です。今日はどうもうんぬん」。あたかも回線があるかのよう に語り続けて
いったのです。
 おかしな事をするものだと思われるでしょうが、信仰を用いるというのはこの
ようなものです。行いを伴うのです。彼の信仰は立派です。神さまもそ う思わ
れたのでしょう。Mさんに、電話を引くにあたっての必要な費用が速やかに与え
られました。
 また、ある人の証しですが、お母さんのアパートの前に大きな建物が建ち、太
陽の光が入らなくなりました。そのことに心痛めたその人は、繰り返し 何度
も、イエスの名によってそれが立ち去るよう祈り続けたところ、建物は撤去され
ました。
 祈りは決して一方的なものではありません。また、神さまの前に聞かれていな
い祈りもないのです。それ故、私たちもまた信仰を用いて祈りましょ う。主は
ご栄光を現してくださいます。
(イスラエル北野)


 
み声新聞2012年12月9日号(第705号)より転載—

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