2012年8月7日火曜日

不公平な神さま

 長年の求道者である友人が、神さまは結局、不公平だと思う、と言いました。
そんな事ないよ、と言ってあげたかったですが、まだ神さまを信じてい ない人の目には、神さまが不公平だと映ることも仕方がないのかもしれません。
 マタイの福音書20章の話です。神さまを意味するぶどう園の主人は、早朝、1日1デナリの約束で労務者を雇い、ぶどう園にやりました。その後、 9時に
も、12時、3時、ついに5時になっても、職にあぶれた者がいたので、彼らもまたぶどう園に遣わされました。
 精算をする時、最後に来た者から順に1デナリをもらいました。早朝から来た人は相応の上乗せがあるだろうと期待しましたが、彼らも頂いたのは1 デナリでした。不公平だと彼らが訴えるのも無理ならぬことでしょう。
 しかし、これに対して主人はこう言います。「自分の分を取って帰りなさい。
ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいので す」(14節)、「それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか」(15節)
 神さまというお方は、私たちが思うよりはるかにあわれみ深く、愛なるお方です。不公平と言っても約束とたがうことは決してなさりません。その上 で神さまは、お心のままに、「恵もうと思う者を恵ま」れるのです。そのはからいが人知を越えているがゆえに、時に人は、ねたましく思うのです。
 皆さんは、人の成功を喜べますか。その祝福を共に喜べるでしょうか。神の愛は、あまりにも大きいので、人には「不公平」という形で表出すること があります。しかし、あの人を恵んでくださる神は、あなたをも恵んでくださる神なのです。その事を忘れずにいきましょう。
(イスラエル北野)

み声新聞2012年8月12日号(第688号)より転載—



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