2023年10月18日水曜日

キリストには代えられません

 東京に住んでいる時、娘の幼稚園で「ママ友」(ままとも)というグループがありました。子どものお母さん同士の交わりで、子どもを迎えに来た後、しょっちゅう集まっては、おしゃべりします。内容は、主に暮らし向きの自慢、家柄の自慢、夫の自慢に子の自慢です。何とも居心地の悪い集まりでした。今から思えば、この自慢の背景にはねたみや比較、競争心があったと思います。「ママ友」仲間に入っていないと何かとバッシングされ、子どもにそれが返ってゆくので、ひたすら耐えました。もちろんそうではない良い「ママ友」グループも数多くあるでしょう。けれども、私のいた所はサタンが働く温床でした。

 ヨハネの手紙第一2章にはこのように書かれています。「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行う者は、いつまでもながらえます」(1517節)

 なぜ、ママ友になじめなかったのか、これを読んで分かりました。欲や自慢、競争は神さまから出たものでなく、世に属するものであるのです。サタンは世の支配者であり、すべて世を愛させる思いはサタンから来ます。ママたちの自慢は世だけのことで、世と世の欲はやがては滅び去るのです。神の子と世の子は、互いに交じり合うことはできません。

 イエス・キリストを救い主として信じた者は、天国、神の国を国籍とする神の子として新しく生まれました。イエスさまの十字架によって世から贖(あがな)われたのです。それゆえすべては一変しました。かつては追求していた世の欲も自慢も、今の私にはむなしいばかりです。それに引き換えイエスさまにある人生は、日々新しく、いのちに満ちあふれています。罪を赦し、聖さで満たし、喜びを与え、神は最高のもので私たちを取り囲んでくださいました。私たちは神のものであり、神に愛され、神を愛しています。

 「キリストには代えられません」という有名な讃美歌があります(讃美歌21522番)。世の何ものであっても、キリストにある神の愛には比べられない、世の何ものもキリストの愛から私たちを引き離すことはできない、という歌です。このことに関しては、ローマ人への手紙8章にはこう書かれています。

 「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。(中略)私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」(3539節)

 私たちはキリスト・イエスを愛しています。しかし、それ以上に神は私たちを愛してくださっています。神は、ねたむほど私たちを愛しておられるといいます。何があろうと決して私たちを離されません。私たちが神を捉えたのではなく、神が私たちを捉えてくださったのです。ですから、その愛と救いは、神にかかっており、何があろうと神から私たちを引き離すことはできないのです。

 何ものにも代えがたいキリストの愛、これが私たちを取り巻いています。他の何ものも、キリストに代わることができません。キリストの愛こそ最も高価で尊いものなのです。世の誉れも、楽しみも、有名な人になることも、キリストを得たことには代えられません。

 立ち止まって考えましょう。そして、イエス・キリストを信じましょう。ママ友も本当はイエス・キリストの愛が必要なのです。

MIKOE NEWSから転載」 2023年10月18日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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