2021年3月20日土曜日

確かな土台

 小さい頃、マタイの福音書7章から取られた子ども讃美歌をお遊戯しながらよく歌いました。それは、それは楽しいものでした。賢い人と愚かな人の歌です。

 歌詞を挙げればこのようになります。「賢い人が岩の上に家を建てた。土砂降りの雨になった。雨が降って洪水になったけど賢い人の家はびくともしなかった」「愚かな人が砂の上に家を建てた。土砂降りの雨になった。雨が降って洪水になったら家はぺしゃんこになった」。

 家を建てるというのは、何らかの働きをするという意味です。地上でのこの人生の中では、誰もが自分の働きを立て上げていきます。ある人は家を岩の上に建て、別の人は砂の上に建てました。その違いは一見するだけでは分かりません。けれども、土砂降りの雨が訪れると、真価が問われるのです。岩に建てた家は洪水が来てもびくともしませんでした。しかし、砂を土台にして建てられた家は倒れ、しかもひどい倒れ方をしました。

 マタイの福音書によれば、これは神のことばを聞いて行う人と、聞いてもそれを行わない人との違いであるといいます。岩とは、神のことばです。神のことばに根を下ろすなら、多少のことがあっても揺るぎがありません。実を結びます。しかし、経験や自分の力などに身を置く時、それを覆すほどの試練や困難が許されると、その土台は砂のように脆く失われてしまいます。神に聞き従う人生と、自分により頼むものとの違いがここに現されています。洪水は、私たちへの試しです。私たちの土台が何であるかはいずれ試されます。しかし、神とその言葉は永遠に変わることがありません。そして救いの岩とはイエス・キリストです。

 讃美歌はこう続きます。「だから、主イエスの上に家を建てよ。さらば神の祝福を得られるだろう。祈りが天に届けば祝福が舞い降りる。だから、主イエスの上に家を建てよ」。

 イエスさまは、神のことばです。損なわれたり朽ちたりすることがありません。ですから私たちの土台を神のことばに、主イエスに置きましょう。そうすれば何が起ころうが案ずるに及びません。主は既に世に打ち勝っておられます。

 「MIKOE NEWSから転載」 2021年3月20日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/ 

0 件のコメント:

コメントを投稿