2019年2月13日水曜日

曲がった時代
 先週は、千葉県野田市の小学4年生の女児が、父親から虐待され死亡したという事件でもちきりでした。
 他にも記憶に新しいところでは、2018年3月に、目黒の5歳児の虐待死がありました。食事を与えられず、衰弱死した女児ですが、就学前なのに平仮名を学んで、必死に書き残した文面はたどたどしく、「もうおねがいゆるして」の文字は多くの人の涙を誘いました。それでも最後まで親に子どもらしい信頼を寄せていることが文面にうかがえ、なお、悲しい事件でした。
 子どもだけではなく、高齢者にも社会のしわ寄せがきています。
 テレビで見たある老夫婦は、わずかに残った全財産を引き出して、死出の旅に出ました。ちょっとぜいたくな旅館に泊まり、チップまで置いて過ごしました。やがてお金が尽きると、2人はあらかじめ決めていた通り、日本海で入水(じゅすい)自殺をはかり、生涯を閉じました。どんな気持ちで最期を迎えておられたか察するに余りあります。
 政治家のHさんは以前、お金がないことが分からない、というようなことを言っていました。よく億単位のお金が母親から小遣いとして振り込まれるといいます。これを聞くと、日本は中流意識が高いと言われたのも過去のことで、今は、一握りの富裕層と大多数の貧民、という格差社会へと向かって移行しているように思います。
 時代は変わりました。マタイの福音書24章は「小黙示録」と呼ばれ、特に終末の事が書かれています。その中で12節には「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります」と書かれています。確かにその通り愛が冷えているのを感じます。
 ペテロは「この曲がった時代から救われなさい」(使徒2章40節)と語りました。主イエスを信じ、救いを受けましょう。(イスラエル北野)
み声新聞2019年2月17日号(第1029号)より転載—

0 件のコメント:

コメントを投稿