2018年11月21日水曜日

種蒔きのたとえ

 マタイの福音書13章に「種蒔きのたとえ」として有名なイエスさまの説教があります。
 種を蒔(ま)く人が種蒔きに出かけました。蒔いた種はそれぞれ、「道ばたに落ちた」もの、「土の薄い岩地に落ちた」もの、「いばらの真ん中に落ちた」もの、「良い地に落ちた」もの、の4通りに分けて語られます。そして、種というのは神のことばです。地は、人の心の状態です。
 「道ばたに落ちた種」は、鳥が来て食べてしまいました。聖書の解釈では「御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです」(19節)と書かれています。悪い者とはサタンであり、サタンは神のことばを奪います。
 次に、「土の薄い岩地に蒔かれる」とは、「みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる」のですが「自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしま」う人のこと(21節)です。また、「いばらの中に蒔かれる」とは、「みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のこと」(22節)です。
 最後は、「良い地に蒔かれる」種ですが、これは「みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます」(23節)と書かれています。
 みことばを聞いたならば、悟ることが必要です。必ず神のことば通りになる、と信じ、最後まで従うことです。そのことによって、私たちの心に蒔かれた神のことば・種は、深く根を下ろし、幾倍もの実を結ばせます。
 わが心を良い地としてささげ、御国の建設のために用いていただきましょう。(イスラエル北野)

み声新聞2018年11月25日号(第1017号)より転載—

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