2017年12月21日木曜日

お金の話

 バブル期の頃のお話です。息子を都会の大学に入れた農家の老母がいました。バブルの流れに乗り、息子は株を扱い、富むようになりました。1億円のゴルフの会員権をはじめ、マンション、ロレックスなどの高価な時計、貴金属を持ちました。母さんに楽をさせてあげられるよ、と言ったところ、母は「お前の金はまっとうなものではない。金っていうものは、汗水たらしてコツコツと積み上げて得ていくものだ。そこに価値がある。いつまでもこんな事がまかり通るわけはない」と言ったといいます。
 その言葉通り、間もなくバブルははじけました。あの時代、お金のことを正しく扱えた人はどれぐらいいたのでしょうか。富の追求は、人間の根本にある欲求です。ソロモン王は、イスラエルの王として地上に並ぶものがないくらい栄華を極めました。しかしながら、幸せそうに見えないのです。そればかりか彼はその書巻、伝道者の書に、「金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい」(5章10節)という一文を残しました。
 また、テモテの手紙第一6章には次のように書かれています。「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰の道から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました」(9、10節)
 お金は大切です。しかし、いつしかそれが目的となってしまうとなると、信仰から迷い出ます。こうなれば、そうやすやすとは元に戻れません。ここに厳しさがあります。
 お金ではなく、イエスさまに望みを置くこと、これが全てです。 (イスラエル北野)

み声新聞2017年12月24日号(第968号)より転載—

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