2017年11月16日木曜日

 

 幼い頃、祖父の家にある仏壇がたとえようもなく恐ろしかったです。幼い私に、仏壇は「死」を強く意識させるものでした。私の家は、宗教的な家ではありませんでしたが、それでもご飯や水を供えたりして仏壇に仕えていました。
 仏壇の中央には位牌(いはい)があり、死んだ祖母の「死後の名前」(戒名)が刻まれています。死んだおばあちゃんはここに(仏壇に)いるからね、と言われて、仏壇や位牌の中にいるおばあちゃんに向かって祈ることを教えられました。しかし、きらびやかな仏壇がより一層死を暗示していて、怖くて仕方がありませんでした。
 仏壇にあるのは戒名で、死んで1年になると、仏教では、祖母は仏になったと言われます。しかし、暗くておどろおどろしいこの仏壇にあのおばあちゃんがいるわけはない、と私は違和感を覚えました。皆そうだと思います。そして無意識に、おばあちゃんなら、きっと子孫を守ってくれるに違いないと思いました。
 仏壇を守ることは、先祖供養を重んじる日本人の一般的な考えです。そして将来、自分が死んだ後も、仏壇を介して自分が生き続けていくと信じる人もいるので、仏壇の問題は一筋縄ではいかないのです。
 しかし、私たちは仏壇の中身こそ知っておくべきです。残念ながら、そこには、あなたの愛する人はいないのです。人の生き死には、全て神の手の中にあります。聖書から見るなら、仏壇にいるのは悪霊です。それ故、仏壇に手を合わせることは偶像礼拝になります。
 ヨナ書に、「むなしい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨てます」(2章8節)と書かれています。仏壇はむなしいものです。しかし、イエスを信じるなら、あなたに与えられるのは永遠のいのちです。イエスさまを信じましょう。
 
(イスラエル北野)

み声新聞2017年11月19日号(第963号)より転載—

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