2017年8月4日金曜日

忠実なしもべ
 マタイの福音書25章は、タラントのたとえとして有名です。父なる神さまは、しもべたちを呼んで、おのおのその能力に応じて1人には5タラント、1人には2タラント、もう1人には1タラントを渡し、旅へ出て行かれました。
 彼らはおのおの、その中で預かったものを用いて商売をして、それぞれ5タラント、2タラントをもうけました。帰ってきた主人は、彼らに言いました。「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」
 ところが、1タラントを預かったしもべは違いました。彼は、「ご主人さま。あなたは、蒔(ま)かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。 私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました」。こう言ったのです。主人は言いました。「悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか」「そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい」
 同様の体験が私にもあります。以前、あるご奉仕が任されたのですが、思うような実を結べず自分に失望していました。ところが神さまは、そんな私にこの聖書の箇所から、「よくやった。忠実なしもべだ」と語ってこられたのです。耳を疑いました。どれをとって忠実と言えるのでしょう。しかし神さまはよくやった、と言ってくださるのです。
 神さまが見ておられるのは「忠実さ」であり、また「用いる」ということです。小さな事に忠実でありましょう。神さまが評価してくださるのは私たちの能力ではなく、忠実さであるのです。 (イスラエル北野)

み声新聞2017年8月6日号(第948号)より転載—



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