2016年12月11日日曜日

雪よりも白く

 今年の旭川は例年より雪の訪れが早くなりました。11月というのに、気温は氷点下10度を記録し、あっという間に根雪になりました。東京でも11月としては54年ぶりの降雪を記録したそうです。
 あれは、32年前のことです。その日の東京も珍しく大雪でした。私は、友人に連れられて初めてM教会に行きました。そして、祈りの部屋で救いを受けました。きよい水が頭のてっぺんから足のつま先に向かって流れてゆくような聖霊の注ぎかけを受け、うまく表現できませんが、その日私は、確かにそこで新しく生まれました。
 教会からの帰り道、大雪に足をとられて何度も転びました。それでもうれしくてうれしくてなりません。雪の白さが、私の罪を赦してくださった神さまの贖いを思わせ、非常な喜びが心に注がれていました。
 後にそのことを書いてある聖書の言葉を見いだしました。イザヤ書1章18節にはこのような一文があります。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、雪のように白くなる」というものです。
 雪が天から降り注ぎ、全てをすっぽり包み込むように、私の罪もまたイエスさまの流された血潮によって覆われました。そして、父なる神は、私たちを見るにあたってイエスさまの血潮を通してご覧になるのです。私たちは贖われたのです。イエスさまの十字架によって今や、父なる神は、あたかも一つも罪を犯していない人が受けるかのような最善最高の恵みを、私たち一人一人に与えてくださるのです。
 神さまは、私たちを愛してくださっています。神さまは助けてくださいます。主の名を呼んで今、み父のみもとへ帰りましょう。 (イスラエル北野)

み声新聞2016年12月11日号(第914号)より転載—

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