2016年7月12日火曜日

主の守り
 先日、とても恐ろしい思いをしました。揚げ物をするため、鍋に油を注いで火にかけ温度が上がるのを待っていたところ、古新聞の記事が面白くて、すっかりそんなことを忘れてしまいました。
 何をしている、という夫の声にわれに返ったところ、油が何とぼこぼこと沸騰しています。白い煙を出し、しかも部屋中にそれが充満しています。
 すぐさま夫はふたを取り、てんぷら鍋を押さえて発火するのを防ぎました。火災報知器が作動し、火事です、というアナウンスが繰り返されました。あと1分遅かったら、引火して大事故に遭うところだったと、夫は言いました。それを聞いて私は青ざめました。あわや、というところで神さまが災害から守ってくださったのです。私は危機から救われました。
 詩篇127篇にはこんなことばがあります。「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい」(1節)これは、結局は神さまの恵みが事を成すのであって、われわれの力などではない、ということを言っていると私は読んでいます。
 全ての事柄の下には神の手があります。神の手が事を成すのです。人の頑張りではなく、全能者のみこころが、事を成し遂げるのです。全能者は私たちを愛し最善をなされます。
 人は努力しますが、それでもなお足りないということは、まま直面する人生の問題です。人間のできることには限界があります。しかし、神にあっては不可能なことは一つもないのです。神さまは配慮に富んだお方です。どうかこの神をあなたの救い主として心にお迎えください。主はあなたに関わる全てのことを益としてくださいます。
 
(イスラエル北野)

み声新聞2016年7月10日号(第892号)より転載—

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