2016年6月15日水曜日

富める若人
 マルコによる福音書1017節以降に、一人の青年が登場します。彼はイエスさまに走り寄って、御前にひざまずいて尋ねました。「先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか」
 イエスさまは「戒めはあなたもよく知っているはずです。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。欺き取ってはならない。父と母を敬え』」とお答えになりました。
 青年は、「先生。私はそのようなことはみな、小さい時から守っております」と言いました。
 イエスさまは彼を見つめ、慈しんで言われました。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい」
 すると青年は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去って行きました。聖書は「この人は多くの財産を持っていたからである」と記しています。
 財産が彼の献身の道、天に宝を積む道を阻みました。自分にとって良きものであるはずの財産がここでは害になっています。ソロモンは、伝道者の書で「金銭を愛するものは金銭に満足しない。富を愛するものは収益に満足しない。これもまた、むなしい」(5章10節)と語っています。
 生活してなお余りあるお金を持つことは確かに祝福です。決して悪いことではありません。しかし、それを正しく用いるかどうか試されます。富は主から与えられたものです。ですから、神の国とその義のために、そして神の栄光が現されるように用い、共に天に宝を積んで行きましょう。 (イスラエル北野)

み声新聞2016年6月12日号(第888号)より転載—

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