2014年10月11日土曜日

身代わりの愛
 愛には多くの形がありますが、「代わってやりたい」という思いもその一つで
しょう。私ごとになりますが、以前大病をしたとき、父が見舞客に、 「代われ
るものなら、代わってやりたい」と語っているのを耳にしました。父とはよくぶ
つかりましたが、その言葉を聞いて親の愛はありがたいもの だ、と思いました。
 天の父なる神さまも同様で、罪人でやがては死に行く私たちを愛し憐れんでく
ださいました。代われるものなら、代わってやりたい、と思われたので しょう
か、救いの道を造られました。十字架による贖いを完成されたのです。ヨハネの
福音書には次のように書かれています。「神は、実に、そのひと り子をお与え
になったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びる
ことなく、永遠のいのちを持つためである」(3章16 節)
 ひとり子とは、イエスさまのことであり、世とは私たちのことです。イエスさ
まを下さり、購いの代価とするほど、父なる神は、私たちを、世を愛さ れまし
た。イエスさまは、私たちの罪を負い贖うために、十字架で死んでくださったの
です。私たちが救われるために、神はいかに大きな犠牲を払って くださったこ
とでしょう。
 私たちは生まれながらの罪人であって、自分で自分を救うことができません。
しかし、イエス・キリストの十字架の贖いを信じるのなら、誰であれそ の人は
救われ、永遠のいのちを受けます。
 イエスさまの十字架の福音を信じなければ、私たちは罪の中で死ぬばかりで
す。宗教多しといえど救いは他にありません。天では既にあなたのために 席
が用意されています。イエス・キリストをあなたの主、救い主として心にお迎
えください。 (イスラエル北野)

み声新聞2014年10月12日号(第801号)より転載—

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