2012年1月21日土曜日

エバの娘

私たちが原罪を持ち、生まれながらの罪人であることは、あらゆる面で明らかです。
人類最初のレディーであるエバは、エデンの園において、かねてから夫に言われていた禁断の木の実に手を伸ばし、自らそれを食べ、夫にもそれを取り、食べさせてしまいました。ここに、罪が生じ、人類に「死」が入りました。彼らの背きによる代償は、子孫である私たちに重くのしかかっています。
私事で恐縮ですが、ある時、私は、ある人へは電話してはならない、と言い渡されていました。駄目だ、と言われると余計に電話をしたくなり、禁じられれば禁じられるほど、その思いは強くなりました。禁を破ろうとする誘惑は甘い蜜のようで、あらがうことができなくなるのです。
心理学の見地からも、人間は、やりたいと思うことは必ずやってしまう性分だといわれています。止められれば止められるほど、頑なになり、私たちの肉なる性質は、神さまに反抗してしまうのです。
使徒パウロもまた体験者であり、この事を嘆きました。ローマ人の手紙にはこう書いています。「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです」(7章15節)
ありのままの私たちは罪の奴隷で、神さまに背いてしまいます。しかし、イエス・キリストの救いが今やこれに打ち勝つものとして現されました。イエス・キリストを信じることは、あらがうことのできない罪から私たちを救い出してくれます。内住される聖霊さまに従うことによって、私たちは罪に勝利します。イエス・キリストを信じましょう。
(イスラエル北野)

み声新聞2012年1月29日号(第660号)より転載—

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