2025年12月27日土曜日

 ナオミの嫁ルツ

 さばきつかさが治めていたころ、すなわち霊的にも実質的にも暗黒の時代に、ベツレヘムに住むエリメレクという人物は、妻と二人の息子を連れて、生活のために異邦人の地であるモアブに住まいを移しました。ところが、エリメレクは早々と死に、彼女とその息子が残され、兄である「マフロン」と弟「キルヨン」は、それぞれモアブ人の女を妻として迎えました。1人の名はオルパで、もう1人の名はルツで、彼らは約十年の間そこに住みました。ところが、このこの「アフロン」と「キルヨン」もまた死んでしまい、ナオミは夫と子どもに先立たれます。(ルツ記115節)

 彼女の希望は出てきたユダの地に帰ることでした。ユダの地を神が顧みてくださって、パンを得られると聞いたからです。そこで二人の嫁と共にユダの地へ向かう旅を続けます。
 しかし、そのうちにナオミは二人の嫁に言います。「あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜り、あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように」(89節)

 こうして、二人に別れの口づけをしたので二人は声をあげて泣きました。「いいえ。私たちは、あなたの民の所へあなたと一緒に帰ります」。彼女らはナオミからイスラエルの神について学び愛し仕えていたのでしょう。その決意と信仰は堅いものでした。
 しかし、ナオミは、もう自分には子を持てないこと、たとえ子を産んでも成人するまで待たせておけないことを語り、彼女らを説得します。彼女らはまたも声をあげて泣き、弟嫁であるオルパは、別れの口づけをしました。
 しかし、ルツは、彼女にすがりついて離れませんでした。「あなたも弟嫁にならって帰りなさい。」とナオミは言います。でもルツは「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私に仕向けないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように」(11617節)。ルツのうちにはしっかりとした主への信仰が育っていたのです。もはやナオミはそれ以上何も言いませんでした。

 二人がベツレへムに着くと、町じゅうが二人のことで騒ぎ出し、「まあ。ナオミではありませんか」と言いました。ナオミは「快い」という意味なので、ナオミは「私をナオミと呼ばないで、マラ(苦しみの意)と呼んでください。全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。私は満ち足りて出て行きましたが、主は私を素手で帰されました。なぜ私をナオミと呼ぶのですか。主は私を卑しくし、全能者が私をつらいめにあわせられましたのに」。こう語ったのです。

 ベツレヘムに着いた頃は、大麦の刈り入れの始まった頃でした。貧しい者は落ち穂を拾う権利が認められていたのでナオミの嫁ルツは、ナオミに落ち穂拾いに出かけることを願いました。そして、ルツが行った畑ははからずもナオミの夫の親戚でエビメレクの一族に属する一人の有力者の畑であったのです。

 彼は、ボアズで、ルツに非常によくしてくれました。他の畑に行っていじめられないように、「ここで落ち穂を拾いなさい。喉が渇いたなら、水がめところに行って若者たちの飲んだのを飲みなさい」と言いました。そして、若い者たちに命じて、ルツに恥ずかしい思いをさせないように、あえて穂を抜き取って彼女が拾えるようにするよう、計らってくださいました。

 おかげで、その日ルツは大麦1エパほどを持ってしゅうとめのもとに帰りました。ボアズの畑で働いたことを知るとナオミは言います。「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主が、その方を祝福されますように。その方は私たちの近親者で、しかも買い戻しの権利のある私たちの親類のひとりです。」(220節)

 こうしてルツは、大麦から小麦の刈り入れの終わるまで、ボアズのところの若い女の子のそばを離れないで落穂を集めてしゅうとめと暮らしました。

 ナオミは一連のことに神のみ手を感じて、ルツに知恵を授けます。ボアズが大麦をふるい分ける夜、体を洗って晴れ着をまとって、打ち場に下って行きなさい。ボアズが寝る所を見届けたら入って行き、その足の所をまくって、そこに寝なさい。あの方はあなたのなすべきことを教えてくれましょう。ルツは「私におっしゃることはみないたします」。こうして、その通りのことをしました。(316節)

 夜中になって、ボアズはびっくりして起き上がりました。なんと一人の女が自分の足の所に寝ていたのです。「あなたは誰か」と聞くボアズにルツは答えました。「私はあなたのはしためのルツです。あなたのおおいを拡げて、このはしためをおおってください。あなたは買い戻しの権利のある親族ですから」。これは当時のプロポーズに当たる言葉です。これに対してボアズも誠心誠意を持った接し方をします。誰彼の見分けのつかない早朝、ボアズは大麦6杯を量ってルツに持たせます。(3815節)

 ボアズの前に一人の買い戻しの権利のある者がいるので、その者を呼び長老10人を招いて話します。「ナオミは私たちの身内のエリメレクの畑を売ることにしています。まずあなたに権利があるのでどうしますか」「買い戻しましょう」「しかしその場合、死んだ者の名をその相続地に起こすために、死んだ者の妻であったモアブの女ルツをも買わなければなりません」と言うと、「私自身の相続地を損なうといけませんから、あなたが私に代わって買い戻してください」と自分の履物を脱いでボアズに渡しました。(418節)

 こうして、正式にボアズは土地と妻ルツを買い戻し、門にいた人々はみなそのことの証人として二人を祝福しました。そして、主が彼女をみごもらせたので、彼女は一人の男の子を産みました。(4913節)

 女たちはナオミに言いました。「イスラエルで、その名が伝えられるよう、きょう、買い戻す者をあなたに与えて、あなたの跡を絶やさなかった主が、ほめたたえられますように。その子は、あなたを元気づけ、あなたの老後をみとるでしょう。あなたを愛し、七人の息子にもまさるあなたの嫁が、その子を産んだのですから。」(414節)

 ナオミはその子をとり、胸に抱いて養い育て、近所の女たちは、その子にオベデと名をつけました。オベデは、ダビデの父エッサイの父です(41617節)。救い主の系図の中に、カナン人とモアブ人の血が入っているのです。

 このことから分かるように、たとえ「マラ(苦しみ)」と呼べることが許されても、イスラエルの神を愛し、従う者には、神は最善最高の祝福を与えられるのです。これが、私たちの信じている神のなさるみわざなのです。ルツはモアブ人でしたが、彼女は主に対する全き信頼と信仰を持っていたことを覚えておきましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2025年12月27日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2025年12月16日火曜日

 アドナイ・イルエ

 アブラハムという人物は神の器(奉仕者)で、知恵に満ち、誰にも増して神を恐れる人物でした。井戸で争いの絶えない身内のアビメレクに、「7頭の雌の子羊を分け、この井戸を私が掘ったという証拠として受け取ってください」と誓いを結び、こうしてそこをベエル・シェバと呼び、アブラハムは長い間このペリシテ人の地に滞在しました。

 『これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」』(創世記2212節)

 これは、人の命に関わるとんでもない仰せですが、この父子は、時を移さず従い始めます。翌朝早く、アブラハムはろばにくらをつけて、ふたりの若い者と息子イサクを連れて行き、全焼のいけにえのためのたきぎを割り、神がお告げになった場所へ出かけて行きました。3日目に、アブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えました。

 『それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたの所に戻って来る」と言った。
 アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。
』(56節)

 イサクは言いました。「お父さん。」「何だ。イサク。」イサクは尋ねました。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

 もっともな問い掛けでしょう。しかしそれに対して、アブラハムはこう語りました。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうして二人は一緒に歩き続けました。二人で黙々と歩き続けることによって何らかの納得が、イサクの内にも目覚めてきたのではないかと思います。

 こうして、神がアブラハムに告げられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築きました。そして、たきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置きました。今やイサクの命も露と消えようとしていました。アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとしたのです。

 「アブラハム。アブラハム。」
その時、主の使いが天から彼を呼びました。彼は答えました。「はい。ここにおります。」

 『御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」

 アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄牛がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。

 そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名つけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。』(1214節)

 こうして、死を恐れなかったアブラハムは、息子の命を得、信仰を受けました。私たちは、今に至るまで主の山には備えがあることの証人です。神を恐れましょう。
 教会が初期の頃、私たちは、ジョージ・ミュラーの信仰をわが信仰として、世界に出て行きました。ただ神のことばを信じて従う信仰によって、世界に出て行ったあの信仰を思い出しましょう。

 アドナイ・イルエ、この信仰は変わることがありません。

MIKOE NEWSから転載」 2025年12月16日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2025年12月2日火曜日

mana

 近所のご意見番のおじちゃんの勧めに従って、私たち近所の子どもたちは全員「鳴門聖母幼稚園」に進みました。みな結構そこを気に入っていて、私は特にそこにある絵本がお気に入りでした。アメリカ版の『天から降ってきたパン』のお話です。まんまるした大きなパンが毎日降ってくるなんて、なんて楽しいのだろう。天国のパンを食べられるなんて、なんていいのだろう。食べたいな。食べたいな。どのような味をしているのだろう。毎日天から降ってくるなんて、素敵だな。素敵だな。その大きなパンは私たちの食欲を大きくかき立てました。

 このパンは1人につき11オメルたっぷり与えられるという「マナ」であり、出エジプト記16章に書かれている「パン」であるのだと書かれています。クリーム味で好きなように調理できるとも書いています。その味を思ってみなうっとりしました。グラタンのように調味してもいいかなと思いました。蜜を入れたせんべいのようだとも書かれているし、どう調理してもおいしそうです。

 マナ、とは出エジプトの際に1カ月したころ、「食べるパンがない。われわれを殺すつもりか」と神に向かって民がつぶやいたところで、神が現された栄光、また、さばきであって、夜露のようにそれがイスラエルの民の宿営の上に降ったのです。それを、1人につき1オメルたっぷり集めるよう、神は定めてくださったのです。多く集めた者も、少なく集めた者も、測ったところそれは、1オメルであったのです。安息日の分は、その日の分と、その次の日とが前もって与えられました。安息日を聖く保つためです。

 よこしまな者たちは、安息日もこのパンを探しに出て行きましたが、それを見いだすことができず、また残しておいてはならないという教えに従わない者のマナには、虫がわき悪臭を放ちました。イスラエルの民は、牛や羊の群れと共に出エジプトしたわけですから、当然乳や凝乳にあずかってきたはずです。そのほかに、マナや肉を食いたいと叫んだその叫びは、主を怒らせるものでした。朝にはマナを、そして夕方になるとうずらが飛んできて宿営の回りに落ちて行くのです。

 主はこう語っておられます。「あすは全き休みの日、主の聖なる安息である。あなたがたは、焼きたいものは焼き、煮たいものは煮よ。残ったものは、すべて朝まで保存するため、取っておけ。」(出エジプト記1623節)

 それで彼らは、モーセの命じた通りに、それを朝まで取っておきましたが、それは臭くもならず、うじもわかなかったのです。イスラエル人は、カナンの地の境に来るまで、40年間これを食べ続けました。そして、それは、1オメルたっぷりイスラエルの子孫のために契約の箱の中に収められています。

 私はこのマナが結構広範囲に、また結構長期的に私たちの食事として食卓を潤したであろうと見ています。というのも、ある日、つきものが落ちたように、私たちが使っている「まな板」は実は「マナ板」ではないか、という考えが浮かんできたからです。マナを調理した板こそ、まな板の由来ではないかと思いました。

 日本人はマナを調理する器具として、この板の上でさまざまに料理し、それを食卓調理に使う「まな(マナ)板」と呼ぶのではないかと思っています。

 もしこれが本当だったら、受け継いできた日本料理のまな板を、さらにきれいにして受け継いでゆきたいと思います。文化とともに、継承とともに見えてくるものを大切にしていきましょう。イスラエルの10部族との関わりが見えてきそうで興味深いです。いわゆる日ユ同祖論も安易に否定することはできないのではないでしょうか?

MIKOE NEWSから転載」 2025年12月2日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/